弱い犬ほどよく吠える

ダメな大人の見本帳。

Keep her steady!

 しみじみ、誰かを推すことは自分と向き合うことなんだなと思いました。

 

 私も同じ、と思う方も全然そんなことない、と思う方もいると思いますが、主語の大きな話ではなく、私個人の、さらに私に限って言えば頭に「DDの」を付けた方が良いかもしれないような話です。

 

 2023年8月4日~6日宮城3DAYS、8月7日フォーゲル聖誕祭を終えまして、帰宅してからあの日からの自分のブログとツイートを見返していました。

 

 去年の聖誕祭終わりも本当にかっこよかった、この人には敵わないってブログを上げたけど、その時とも比べ物にならないくらいにすっきりしてて、あー寂し!!!楽しかった!!!!大好き!!!!ってすごいカラッとしてて、そんな変化に自分でも驚いたのが見返すきっかけでした。

 で、実際読んでみると全然変わらないじゃんと思うところも随分と違うなあとも思うところもあって。

 始めは「嫌だ」「寂しい」「なんで」「楽しそうなのに」とか、ガッチガチでごつごつした岩みたいな形状をしていて、だけど剝き出しの岩石を晒したくなくて、それを打ち消すような、殊勝で言い聞かせるような言葉たちで覆ったり、なのに時々突き破ってごつごつが顔を見せたり。

 落としどころがつきましたみたいにすまして(られてたかわからないけども)るように見せかけて、ああ私ぐちゃぐちゃなんだな、と手に取れてしまうような感情が言葉の奥にに見え隠れしていました。

 あそこから400日ちょっと、発表後の初めての接触があって、ライブがあって、誰かと話して、誰かの呟きに触れて、新しく好きを自覚して、どこかに行って、何かを食べて、家族と過ごして、風邪ひいて、元気に過ごして、寂しい日があって、あれ私大丈夫じゃない?!って日があって、無理って思う日があって、更なる変化に直面して、新しい曲に触れて。

 400日とちょっとの間に起きた出来事となんにもないことと、その一つ一つに撫でられたり、拭かれたり、包まれたり、時として削がれたり、しばかれたり、蹴り飛ばされたり、そんな風にして形作られて、上流の石が流れて丸くなるみたいなイメージを経て、今日の私というオタクがあるような気がしています。400日に限った話じゃないな、きっとオタクになったその日からずっとそう。

 だけどやっぱりこの400日ちょっとは特別に濃くて、ああ私はこの人たちが好きなんだっていうのと、この人たちもこの人たちのことが好きなんだ、っていうのをこれでもかっていうくらい思い知らされました。

 

 幸せになってほしい、って烏滸がましいことかもしれないけど、「自分が選んだ道を肯定して、ちゃんとその道で花を咲かせてみせたい」っていう昨日のフォーゲルさんの言葉が深く深く沁みて、理解してたはずなのにああそうか、みんな選んだんだなって改めて感じました。

 

 「これ!!!」がある人もない人も、これから去る4人も、残る5人も。迷って悩んで、だけど大きな変化の中で選んで決めて、これからそれを自分の力で正解にしていくんだなって。今正解かどうかなんかわかんなくて、でも正解にするんだって各々が決めて、今が、未来があるんだなって。自分の未来を正解にしていくことは自分にしかきっとできないけれど、誰にしても身を切る選択であろう中、それを認め合って「背中を押したい」って言える関係って奇跡だし、かっこいいし、羨ましささえあります。

 

 好きだから否定したくない、の感情は気が付けば好きだから肯定してあげたい、になって、そこから更に行ってらっしゃい!と応援するよ!に形を変えて。

 現実的にその道を正解にするプロセスに関われなくなってしまうのは寂しいけれど(ていうか全般大前提としてめちゃくちゃ寂しいけど)、5人の選択は肯定して正解にする過程に関われるんだなって、それが4人がまっすぐ進む糧にもなるんだなって思うようになりました。

 

 あとね、誰かの言葉を否定するものではなく、ただただ私の中の枷のようなものなのですが、スキルとか才能とか、人が持ち合わせる無形のものに「勿体ない」「惜しい」という言葉は使うことをなるべく避けていたところがあったんです。

 というのもとある分野において大変才能があるのにあまりそれを外に出したがらない友人がいまして、彼女がそれに対して「勿体ない」をいう言葉を使われることを殊更に嫌がっていた経緯がありまして。そうか「勿体ない」は誉め言葉ではなくて、その人の違う可能性を否定する言葉にもなり得るのかもしれないと思いまして。

 だから昨日「惜しいなって思わせたい」って聞いたとき、びっくりして、だけどすごく安心したんです。あ、いいんだって。

 更に言うとその少し前、卒業してもにーちゃんで居続けたい、歌い続けたいって言ってくれた兄もに対してもすごく安心したんです。

 勿論人それぞれの感じ方だしあまりにも強い勿体ないは私自身が躊躇うけれど、でも損失を惜しむのは少なくともフォーゲルさんの中では未来の否定ではないんだ、兄にとって違う道に進むことはもう一つの否定ではないんだって、そう知れたのが嬉しかったです。あーーーくそそっちいったかーーーー!!!!絶対そっちでも活躍すんだろうなーーーーでもこっちももっと見てみたかったなーーーー!!!!みたいなそんな心境です。

 

 でも大丈夫、その道で合ってるよっていつかの未来に、ごつごつとした「絶対言ってやる」から柔らかい「言える気がするな」に変わったようなそんな残りあと4ヶ月。

 

 聖誕めちゃくちゃに楽しくて可愛くてかっこよかったです!!!!!フォーゲルさんお誕生日おめでとう!!!!

 まだ買ってない人は是非!!!