弱い犬ほどよく吠える

ダメな大人の見本帳。

ATO-HANTOSHI

 イコール、あれから凡そ1年。

 

 あと何回ブログ書くかなって思ってたけど、当初の予想よりは意外と少ないなあなんて思いながら6月を迎えました。

 誰かに同意を求めるでも何かを訴えるでもない、私というオタクの感情の経過観察的なブログだと思ってください。

 今この時点で何があったって訳でもなく、現時点で感情の乱高下のピークは昨年末で、かといって凪いでいるかと言われればそうでもなくて、ひとつひとつのライブやイベントごとにワーーーーーーーってなって考えたり好きと寂しいが増したりなんだりしているのですが、今のところは比較的穏やかに、そして幸せを噛み締める時期に来ています。

 

 全力で駆け抜けられるのって幸せだなーって。

 

 オタクってそれまで全然普通に暮らしていたのにある日突然パーンって雷に打たれて突然何かにおっこちる後天型と、もう産まれる前から遺伝子情報に書いてあるんかレベルでオタクが染みついてる気質型があると思うんですけど、私はもう典型的な気質型でして。

 どのくらいかって言うと歌番組に推し(っていう言葉ではなかったけど)が出なかったっていう理由でテレビの前で寝るまで泣き続け、呆れた親に小1の保護者文集でエピをびっちり晒されたくらいに気質というか先天性のオタクです。

 そんな感じで生まれて〇年、ハマったジャンルは数知れず、何にもハマっていない時期は生きてる年数の5%未満なんじゃないかみたいな人生にもかかわらず、そんな中で「推し切った」って言える人たちがどれだけいるだろうって考えると、こんなにたくさん沼落ちしてるのにたった1組だけで。

 そしてこのそこそこ長いオタクライフの中で、今を抜かすといつが一番幸せでしたかって聞かれたら今でも圧倒的にその瞬間なんですよね。

 

 

 人間の、こと私の感情などというものはどうにもいい加減なもので、1年前、2年前を思うと、変わらないものもあるけど少なからず変わりゆくものもあったりして、「一生大好き」なんて言っていてもある日突然「次」が降ってきてしまうこともあれば、環境の変化だったり、お金や時間の物理的なキャパの限界で好きなものを2つも3つもいっぺんに追えなくて、どちらかの優先順位が下げざるを得なくなったり、結果引きずられて少し気持ちが離れてしまうこともあったりして。

 どんなにずっと好きと言っていてもどんなに長くても、不意にそんなことが起きないとは言い切れなくて、いつかどこかで惰性みたいなものが生まれたりする。そんなことあるはずないって今は思っていても、経験則的に私は絶対なんて言えないんだろうな、単に未来が遠いだけなんだろうな、っていう思いが少なからずありました。

 そして、そうやって少し気持ちが離れてしまったかつての推しが脱退したり、活動休止したり、そんな場面に触れるたびによぎる「あ、やめちゃったんだ、そっかあ昔好きだったのにな」の感情は平坦で、確かに大きく揺さぶられはしないけれど、いつだって漠然とした虚しさと申し訳なさが付き纏うもので。

 

 それが今回はまるで逆なんですよね。


 ロクブンノキュウで大好きなメンバーと力を合わせて1.5倍以上の輝きを見せてくれる姿も、どかどか発表されるイベントも特典会も、日々の配信も、何気ないツイートも。

 困ったことにどんどん好きになる一方なんですよ!

 

 「大好き」のどピークで終えられるのって、しんどいけど幸せだ。

 これが半年を残した私というオタクの何よりの感情です。

 

 1秒だって失速のしようがないフルパワーの1年半だから、ないとはわかってるけどこれで例えば事態がひっくり返るような事が起きたとしてたら多分逆に「まってごめん無理」ってなってしまう気がするし、ここで言うフルパワーはあくまで気持ちの問題でお金とかの話ではないですが、それでもやっぱり「臓器 売り方」で1回調べる事態になる気がするし。
 
 腹括ったんかって言われたら全然なんですけど、たくさんあるオタク人生分岐点の先の未来のパターンを順位付けしたとしたら、訪れるだろう未来は少なくとも一番下に位置するものじゃない気がするなっていうのが、私というオタクの今の思うところです。

 

 言うてお前複数推しやんけその先についてはどう考えとんのじゃっていう話はまたおいおいどこかで。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 あと半年後悔なく、健康で楽しく暮らします。

 

 

 

完全撤収コンサート(何の話か即バレるな)でしこたま泣いて、終演後の広場で皆でラストシングル踊って、そのまま10人くらいでカラオケに行って全曲入れて徹夜でマイク無しの泣き笑い大合唱して帰ってきたオタクのアオハル